2019.09.13

富士山の光と影

富士山日記第87号(執筆者・撮影者 環境省 富士箱根伊豆国立公園管理事務所 三浦克己)

今回意味ありげなタイトルを付けましたが、開山期が終わった暁に富士山の明暗を論じるわけではなく、文字通りこの山で目にした光と影についての覚え書きです。

富士山の光といえば、真っ先に思い浮かぶのは御来光でしょうか。山上で迎える日の出をいつから有り難がるようになったのか、確固たることは分かりませんが、古代より日本の主神であるた天照大神や、神仏習合の時代における(富士山の神である)浅間大菩薩の本地仏〈本来の姿〉とされた大日如来への信仰というものが影響しているのかもしれません。


久須志岳付近から見る日の出

今日、富士山のご来光は出自の国を問わず親しまれています。山の最も高い所からこれを拝むには、夜明け前の暗いうちに登頂しておく必要があるため、(安全上のリスクも高まるので推奨はしていないものの)ヘッドライトを付けての夜間山行も行われています。こうした人々が数珠繋ぎに列を成すようになると、連なった明かりが、時に「富士山銀座」などと呼ばれる独特の夜景を生み出します。

富士山の「夜景」

上の写真は、午前零時頃に吉田ルート八合目の白雲荘から河口湖方面を撮ったもので、山麓の町々の明かりを背景に、闇を行く登山者が放つ光の帯が斜面を蛇行しているのが分かります。

なお、このサイトで紹介しているように、(富士宮ルート等の一部を除いて)山腹からでも十分に太陽が昇る東方の地平線を臨むことができるので、山小屋に泊まってゆっくりとその瞬間を迎えるのも一計です。

駒ケ岳から見る剣ヶ峰の星空

人工的な光源に気を取られても、忘れてはいけないのが天上の星の光です。日本列島では最も空に近く大都市とも隔たれた富士の頂きは、天候の条件さえ良ければ最も澄んだ星空を臨むことができる場所でしょう。

天河(あまのがわ)みなぎるいさご(石子)としつもり 空よりなせるふじのしば山

これは近世の風流な歌で「天の川から降り積もった星の砂によって富士山は成っている」と詠んでいます。御来光を目指して歩く夜、人群れの中では足下ばかりに視線が行きがちですが、小石を踏みしめた折にでもこの和歌を思い出して下さい。暗がりで明かりを消してしばし頭上を眺めてみれば、生涯忘れることのできない夜空に出逢えるかもしれません。


 
成就岳付近から見た御来迎

さて、「御来光」と似て非なるものに「御来迎(ごらいごう)」があります。これは上の写真のように、中空に人型の影が(この場面ではごくうっすらと)虹のような光に囲まれて見える現象で、無機質な用語ではブロッケン現象などとも呼ばれます。稀にしか目にすることができず、人影と光輪の取り合わせがいかにも神秘的なため、古の修験者がこの並ならぬ自然の所業に神仏(特に光を司る阿弥陀如来)の現出を感じたことは想像に難くありません。ちょうど背後の低い位置から陽が差している早朝や夕刻、眼下に霧が流れている時分に、思いがけず現れる可能性があります。

山頂から西麓に見る影富士

御来迎の写真に富士山の影が部分的に投影されているように、山の輪郭がよりくっきりと地表や雲海に映ったものが影富士です。上の写真は、日の出から約1時間後に、お鉢の西側のちょうど大沢崩れ上部から見下ろした時の様子で、影富士が戴く雲の具合が、春に山中湖方面から見た富士山の雪化粧そのものです。もちろん、太陽は西方に沈むため、日没前は反対の東側の山麓に向かって見ることができます。

以上いくつか富士山の光にまつわるハイライトを紹介しましたが、他にも、太陽や月・星・雲・風そして大地が生み出す様々な幻想的光景に出会すことがあります。今季はもう閉山を迎えましたが、来年に向けて心技体万遍なく備えておくのも悪くないかもしれません。光陰矢の如しです。